医師になろうと考えたのは、高校生の時

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医師になろうと考えたのは、高校生の時

塾長ブログ

2021/01/22 医師になろうと考えたのは、高校生の時

授業風景

「神の手」といわれている日本の医師を、エッセイ風にまとめてみました

 

先生はいつ医師になろうと決めたのですか?

 

子供の頃、私がお腹が痛くなったり熱を出したりすると、いつも母は私を小児科の医師の所に連れていきましたが、その医師は偶然私の親戚の1人でした。私はどういうわけか彼の医学書や、聴診器にとても魅力を感じたのです。でも初めて将来の職業として医師になろうかと考えたのは、私が高校生の時でした。

 

 

医師になるのは簡単ではないと知っていますが、あなたの場合はどうでしたか?

 

 

そうですね、私も例外ではなかったと言わざるをえません。高校生の時、私はクラブ活動に携わらず、入試に備えて予備校にも行っていました。でも3年続けて受験に失敗して、やっと合格したときはもう21歳でした。考えてみれば試験に失敗したことは、結局私にとって悪いことではなかったのです。落ちたことによって、医師になる決意を固める機会を得たのです。

 

 

医学部で訓練を受けた後、医師国家試験に合格して、先生は医師になりました。卒業後の経歴はどのようなものですか?

 

 

私の友達の多くは、大学病院で医師として働き始めましたが、私は違った経歴を選びました。患者たちと、もっと触れ合える総合病院で医師として働きたかったのです。そのようにして外科医師として技術を伸ばすことができるだろうと思ったのです。それで総合病院で職探しを始めました。そしていくつかの病院で、断られた後ついになんとか仕事を見つけることができました。

 

 

先生のお父さんは心臓手術の後亡くなったそうですね。そのことは多少なりとも外科医師として先生に影響を与えましたか?

 

 

ええ確かに。私の父は心臓病を患っていて、手術を2度受けていました。私が31歳の時、彼の病状は人工弁を取り替えなければならないほど悪化しました。私は初めから終わりまで、その手術を見ていましたが、その手術の間に次々に問題が起こりました。1週間後父は亡くなりました。66歳でした。

 

 

お父さんが亡くなられたことは、きっと先生にとって大きな打撃だったでしょう。

 

 

ええ致命的な程でした。私が手術をしたわけではありませんでしたが、父の死にいくらか責任を感じずにはいられませんでした。

 

同時に父は自分の命を犠牲にして私に外科医師として何をしてはいけないかを見せたのだと感じました。

 

私は私の助けを必要としている多くの患者たちの命を救うことができるよう、腕の良い外科医師になるために、できることは何でもしようと決心しました。

 

昼間病院で働いた後、夜の間ずっと縫合の練習をしたものでした。立派な外科医師のことを耳にするといつでも、彼らの手術を見るため、彼らに会いに行きました。心から満足するまで、彼らにあらゆる質問をしました。そうした頃からずっと私は「ひたすら」絶えず外科医師として自分の技術を磨く努力をしてきます。

 

 

それでは先生は、お父さんの死から多くのことを学ばれたのですね。

 

 

ええその通りです。

 

知っての通り、どんな些細なミスをしても、患者さんを危険にさらす可能性があります。このことはおそらく、私が父から学んだ最も重要な教訓の1つです。

 

私は自分があった患者さんすべての命に対して、責任があることがわかっています。それで彼らの命を救えるようにできる限り努力します。

 

私は、「けして手を抜こうとするな。ただ自分の仕事をしろ。」と自分自身に言い聞かせています。「妥協」という言葉は私の辞書にはありません。

 

 

 

先生のことを「神の手を持つ外科医」と呼ぶ人達もいます。それについてはどう感じていますか?

 

 

 

そうですね、その言い回しは、私には意味がないと思います。本当に必要なのは「神の手」ではなく、手術前に綿密に計画して、物事を判断したり予知する能力です。

今までのところ私は6000以上の手術をして来ていますが、この経験によって、危険なときにどのような手順を取ればいいのか、を予測することができるのです。

手術の時には、起きるかもしれない、いかなる状況に対しても、素早く正確に反応できるよう、五感を十分に働かせることが重要です。

 

 

先生はほとんどの時間を病院で過ごして、毎日重い心臓病の患者さんたちに合われています。患者さんたちに関わるために何かされてることありますか

 

 

患者さんたちと良い関係を築き、患者さんたちの信頼を得ることが、医師にとってこの上なく重要です。

 

私としては、患者さんたちの心臓の音を聴くとき、彼の胸に当てる前に、聴診器を私の手で温めようとします。

 

それから患者さんたちが、違いがわかるように、患者さんたちに私の心臓の音を聴いてもらいます。医師としての私と、患者さんたちの距離を縮めるために、そうしています。

 

患者さんたちは、手術をすれば命を失うかもしれないことがわかっていて、来ていることを、理解しなければなりません。

 

大切なことは、私たちはそのような難しい決断をした人達に対して、尊敬の念を持つ必要があるのです。

 

 

 

出る杭は、打たれる、と言われています。世界で1流の心臓外科医の1人として、先生は打たれていますか?

 

 

そうですね、あなたが挙げたことわざは正しくもあり、間違ってもいるとも言っておきましょう。杭が打たれた時代もあったかもしれませんが、

それは杭がほんの少し少し出ている場合のみです。杭が他の杭よりはるかに多く出ていれば、打たれることはないでしょう。

そのようにして、私は、若くて野心に燃える外科医師たちを、激励したいのです。

 

 

 

先生にはライバルがいますか?ひょっとしてブラックジャックですか?

 

 

大鐘稔彦が描いたアニメのヒーローである、当麻鉄彦の名前を挙げましょう。どういうわけか、当麻を見ていると、私は若くて野心に燃えていた、

昔の自分を思い出すのです。彼はできる限り善の手術をして、自分の患者と患者の家族を幸せにしようと最善を尽くしています。

ライバルというよりむしろ、彼はおそらく、私がなりたいと思ってるタイプの外科医師としての理想像なのです

 

 

いつでも患者第1

 

天野医師は外科医師として、並外れた技術を持っています。しかし他にも、医師として成し遂げる方法があります。

外科医として仕事を続けたかった医師がもう1人います。

 

学生の時、彼はラグビーをしている間に何度も骨折しました。そして。そのことがもとで彼は医師になる決意をしました。

 

1987年に医学部を卒業し、彼は病院で研修医になりました。彼は思い出しています。「研修医としての訓練はまさに地獄のようでした。

普通は10分しかかからない簡単な手術も私がすると1間以上かかりました。私には単に外科医師になるための技術がなかったのです。」

かつて彼が手術で助手をしていた時、同僚の1人が「お前は助手ではなく研究医だ。」と言ってバカにしました。

 

しかしながら、この臨床経験によって彼は最も優秀な医師でさえ治療できない病気や怪我がたくさんあることがわかりました。

 

彼は現代医学では適切な治療することができない、そのような患者を助けるため、基礎医学の研究が必要だと気づきました。

 

1993年彼はアメリカへ行きました。彼は患者を治療することをやめて、研究に目を向けました。

 

ほぼ20年後の2012年、この医師は人工多機能性幹細胞(IPS)の開発に対して、ノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、その細胞には、

どんなタイプの体の組織にもなれる可能性がありす。

 

彼の名前は山中伸弥さんで、京都大学の教授です。

 

山中教授は、次のように語っています「私は大きな責任感を感じています。というのは医師としてこれまで1人の命さえ救うことができていないのです。

私は本当に私たちのこの貴重な発見を療目的に使いたいのです。」

 

しかしながらこのiPS細胞の開発によってすぐにさまざまな病気に対する万能薬ができるわけではありません。更なる研究に5年か10年かかるかもしれません。

 

しかし、山中教授は「私は、患者に希望を捨ててほしくありません。」と言っています。天野医師と山中医師は別々の道をたどりましたが、2人とも同じモットーを持っています。

それは「いつでも患者第1」です。

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