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漫画家からのメッセージ

塾長ブログ

2019/01/16 漫画家からのメッセージ

授業風景

 

 

 

高校生の皆さんに、ある漫画家からのメッセーがあります

 

漫画を700以上も描いた有名な漫画家に、子供のころ、大きな影響を与えたものは何でしょうか

 

第二次世界大戦が終わった1945年8月15日のその夜、都市の明かりが再び灯されました。その時、彼は若干16歳でした。「戦争が終わった、そして私はまだ生きている」と強く思ったのです。

彼にとっては、その明かりは、平和を意味していたのです。

 

数年が過ぎて、彼は医学生になりました。ある日、癌でなくなりかけている患者さんを、訪ねた時のことです。その患者さんは、顔を痛みでゆがめていましたが、死の瞬間が訪れた時、その様子は消え失せていました。顔は美しく、安らかにさえ見えました。「死は終わりではない、きっと魂は生き続けるんだ」と彼は心が深く動かされました。

 

このような生と死の経験が、その漫画家に大きな影響を与えました。漫画家として彼は、常に生命の尊厳を表現しようと試みたのです。

その漫画家は最後に、どうすることを決めたのでしょうか

 

2つの職業の選択肢がありました。その時彼はまだ医学生でしたが、一方で新聞に、漫画を描き始めていました。

長い間、彼は医師になるべきか、漫画家になるべきか、なかなか決められませんでした。

卒業する前の年、彼は患者さんと面談をしていた時、その男性が大きな耳をしていることに、目が留まりました。耳は男性が話している間、動き続けていました。それがとても面白いと思い、突然彼は全てを忘れて、男性の絵を描き始めました。カルテに書かれたスケッチは素晴らしいものでした。先輩の医師がそれを見たとき、「あなたは本当に医師になるつもりですか。あなたは生まれながらの漫画家ですね!」と言いました。このようなことがあって、彼は医師免許を取得したにもかかわらず、漫画家になることを決めたのです。

 

その漫画家にとって、漫画を描くことに、どういう意味があったのでしょうか

 

彼は車の中、電車の中、飛行機の中でさえ、どこでも漫画を描きました。また寝る時は、枕の下に鉛筆やメモ用紙を用意していました。人生の終盤の頃、彼は病気になったり、スランプに陥ったりしましたが、漫画について考えることを、決してやめようとは、しませんでした。

 

体調が悪くて、横にならなければいけない時でも、漫画を描き続けました。

1989年の1月の中頃、彼の体は、とても衰弱していきました。ある日、「私は隣の部屋でまた書き続けます」と彼はベッドから言いました。それが最後の言葉となり、1ヶ月後、漫画家の人生は終わりました。

 

その漫画家にとって、漫画を描くことは、生きていることを意味していました。彼が亡くなった後、彼の妻が彼の日記を読み通した時、日記の最後のページに、新しい漫画本の計画が書かれていました。

 

漫画家からのメッセージとは、何でしょうか

 

彼の描いた約700以上もの漫画は、英語を中心にフランス語、ドイツ語などに翻訳されて、世界中で読まれています。それらは、日本と海外の両方で、芸術家たちに、大きな影響を与えました。

 

漫画家から若い人たちにもメッセージが残されています。

 

私は漫画を描くことが好きです。私は、決してそれで疲れることはありません。私の漫画のように、あなた自身にも何かを見つけてください。何でもよいのです。それに誇りを持って、少なくとも高校の17歳になるまでは、それを続けてください。それは必ずあなたの財産になります。次に、他の何かを見つけてください。それであなたは、2つの職業の選択肢があるでしょう。もし一つがうまくいかなくても、あなたには、まだもう一つがあるのです。学校を卒業する時、もしあなたに、追い続ける2つの選択肢があれば、あなたは、本当に幸運です。

 

宇治市で丁寧な個別指導を行うマンツーマン指導専門、プライベート学習教室では、高校生のうちに、上記の漫画家のように、人生の目標が見つけられるほど、様々な学問に、興味や関心を持つことを勧めています。

 

 

 

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