庭は本来、素朴に自然を模倣する

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庭は本来、素朴に自然を模倣する

塾長ブログ

2019/07/21 庭は本来、素朴に自然を模倣する

授業風景

 

庭は自然的なものと、人間的なものとに区別される

 

庭、特に日本の庭園は、知識を深める宝庫

 

ここに、よく論説としてとらえられる、代表的な3つの庭園の解説を御紹介します

 

修学院離宮の庭には、境がないが龍安寺の庭は、額縁の中にある。

 

修学院では、人は自然の中に入るので、庭の中に入るのではない。龍安寺では、人は庭を見るので、庭の中に入るのではない。一方では庭は庭でないし、他方では、庭は見られるものに過ぎない。

 

低いしろ壁によって、三法を囲まれた額縁の中の自然は、近代劇の舞台のように、第3の壁を観客に向かって開いている。庭は寺の広縁から、見られるためにあり、見られるためにのみある。三方の白壁の外には、美術館の壁面のように、額縁の中の風景とは縁もゆかりもない空間がある。

 

龍安寺の庭は、目の覚めるような紅葉の林が、周囲を取り巻いている秋にではなく、枯れ落ちた林の、こずえの網の目が、灰色の空を透かせている冬の午後に、あるいは、薄緑の若芽が林を包む春の夕暮れに眺めるのがよい。

 

修学院の自然が、古代的・牧歌的な自然であるとすれば、龍安寺の自然は、近代の風景画のように、近代的、客観的な自然であろう。一方では、自然的なものと、人間的なものとは区別されず、したがって、自然対人間の対立を通じての自然は、おそらく意識されていない。庭は素朴に自然を模倣するが、その本質をとらえない。

 

 

他方では自然的なものと、人間的なものとが明らかに区別され、自然は常に人間に対する自然として意識される。庭は自然を模倣せず、自然的な素材の効果を、厳しく拒絶しながら、純粋に人間的な精神的な方法によって、すなわち、相阿弥が熟達し、精通し、自在に駆使した象徴主義的方法によって、自然も本質を捉えてる。

 

しかし後水尾院は、かれの離宮で生活してたのだ、ということを忘れてはならない。

 

相阿弥はどこで生活していたのか。少なくとも、石庭の中においてではなかったことは確かである。

 

その自然ば見られるものであり、単に見られるものである限り、決して宇宙ではなかった。宇宙はその中に人が身を置くところのものである。

 

誰がそのような宇宙を作ったのか。家の中に入るように、その中へ入ることができる庭、それ自身、境のある世界であって、自然から明らかに区別され、しかし、額縁の中に限られたものではなく、人を包み、家を包み、一切を包むには、単に見られるものではなくて、その中で動き、生き、考えることのできる庭、精神にとってある対照ではなく、唯一の宇宙である庭、そのような庭を、誰が作ったのか。

 

 

人は、桂離宮を見ることができない。その中に入ることができるだけである。

 

竹で編んだ垣根あり、簡素な門がある。門をくぐり、くぐりどを通って、御輿寄せの前に出ても、緑の濃いこけの中に、直線の敷石が浮かび上がっているばかりで、左右にいわゆる、飛び石が茶人の気まぐれな哲学を暗示しているけれども、建物と生垣にさえぎられて、庭を見ることはできない。書院の中に入り、月見台の上に出て、初めて庭を見る、というよりも、人は突然、もう1つの世界の中に入る自分自身を見出すのである。

 

 

その世界には額縁がない。額縁の周りの美術館の壁に相当する空間がない。深い森に囲まれ、視界は森に限られているが、森はどこまでも続いているのであり、その外にあったはずの桂川や、田畑や、人家や、電信柱は、どこまでも続いている森の果てにしか、すなわちもはや無限に遠い彼方にしか存在しない。この世界は明らかに境されているが、その境は無駄に遠いのである。したがって、また見る者にとっての第3の壁というものはありえない。風景は書院の正面に向かって開いているではなく、書院が風景の中にある。

 

 

人は風景に対しているのではなく、自然の中に、いや自然の中ではなく、第二の自然の中にいる。第二の人生である夢の中にいるように。ここには夢の中においてと同じように、この世のあらゆるものがある。広い空を映す池の水、木立に覆われた島と、しげみに隠れた松琴邸の屋根、石組みの美しい岸、岸にせまる紅葉の林、また土の橋や、藁葺きの屋根や、灌木の間にのぼる、細い道を組み立てている田園風景、あるいは、またかすかに黄ばんだだ芝生の秋の色、一列に並んださりげない並木、書院の白い壁、ここには水の、樹木の、苔や芝生の、自然の素材の美しさがある。また滝口の石組や、敷石の幾何学や、建築の形式、その柱の曲線、またその壁の広がりを持つ人間的な形式の美しさがある。

 

 

ここにはあらゆるのものがある。しかし夢の中においてと同じように、この世のあらゆるものが、この世の秩序とは異なる、ある秩序のもとに息づいている。

 

この庭についての文章の中で、ご理解いただいたと思いますが、最も強調されている庭は、桂離宮です。八条宮智人仁親王の別荘として造られ、のち数次にわたって増築されましたが、明治16年以降、この庭は離宮となりました。外国の方々が大変興味をもたれている、庭の一つでもあります。

 

ご存知の通り、桂離宮は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトによる「日本美の再発見」の中でその単純さと優雅さを合わせ持つ、唯一の庭として登場します。学習の糧として。それらの書物を一読されることを、お勧めします。

 

 

宇治市で丁寧な個別指導を行うを行うマンツーマン指導専門プライベート学習教室では、日本の庭園は、英語、国語の両科目で、入試によく出るため、多面的な知識を身につけるように学習指導しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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