変化をもたらした海の若者

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2021/08/06 変化をもたらした海の若者

 

生徒

 

 

万次郎は英語力を生かして変化をもたらした

 

1853年にアメリカのペリー提督が軍艦で浦賀へやってきました。日本の人々はそれらを見て怯えたに違いありません。ぺリーはアメリカの大統領からの書簡を徳川幕府に提出しました。いくつかの港の開港要求に対して、迅速な回答は得られませんでした。その数日後、来年また戻ってくる、と言い残しペリーは日本を去りました。これらは、みなさんよくご存知の、日本の夜明け、の1部です。

 

 

土佐の青年が江戸に呼ばれたとき、彼はアメリカの事情を説明しました。アメリカ人は彼らの捕鯨船に、燃料を入れるため日本の港を使用したかったのです。彼は日本の首相たちに、我々は1人では生きられません。他の国々と協力すべきです、言いました。彼の名前は万次郎と言いました。彼は日本人の中で、最もアメリカにも、英語にも、精通していました。なぜでしょうか?

 

1841年14歳の万次郎は、4人の年配の漁師たちと一緒に釣りに出かけました。嵐に遭い彼らの船は押しやられ、無人島に打ち上げられました。食料としてアホウドリんを捕まえ、ジョン・ハラウンド号というアメリカの捕鯨船に救出されるまで、彼らはそこで生き延びました。

 

船長は、万次郎が前途有望な少年だと気づき、彼をアメリカ合衆国へ連れて帰ることに決めました。船員たちは、彼のことを船の名前にちなんで、ジョン・マンと呼び始めました。

 

長い航海の後、船はマサチューセッツ州ニューベッドフォードの母港に到着しました。万次郎はその町の近くで学校生活を始めました。彼は航海術とそしてもちろん英語を一生懸命学びました。戸

 

数年後、万次郎は他の捕鯨船の1等航海士になりました。このことから万次郎が海の男として尊敬されていたということがわかります。

 

陸の上でも、海の上でも、万次郎は、母親を忘れることはけしてありませんでした。1850年に、彼は彼の故郷である中浜に、帰ることに決めました。当時、諸外国に対する日本の門戸は、閉ざされていたため、道中は順調ではありませんでした。1851年に琉球に到着したとき、彼は1連の尋問を受けました。

 

しかしながら、万次郎のアメリカでの経験に、たいへん関心を持った日本の見識ある指導者たちもいました。彼らは万次郎を、情報源として高く評価しました。1854年にペリーが日本へ戻ってきたときには、日米親和条約の交渉において万次郎が舞台裏で重要な役割を果たしました。

 

また、万次郎はたくさんの若者たちを指導しました。彼らは、万次郎が講義の中で話す西洋の文化に、影響を受けました。後に新しい日本を築こうと、懸命に取り組んだのは、それらの若者たちでした。

 

1859年、万次郎は英会話教本を執筆しました。この教本のおかげで、日本人の生徒たちは英語の文字と発音、そし両言語間の語順の違いについても学ぶことができました。その教本の中の漢字の番号は英単語がその日本語に翻訳される順序を示しています。

 

その教本は、彼の英語学習に対する長年の努力の成果でした。もともと万次郎は、生き延びるために英語を聞き覚えました。英語のおかげで彼は航海術の知識と技術を、習得することができたのです。後に彼は英語と航海術の両方を教えました。それらは新しい日本を築くために、必要不可欠なものでした。

 

素晴らしい英語力を生かして、万次郎は変化をもたらしました。彼は自分自身を変え、そして日本を変える手助けをしたのです。

 

 

 

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