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エベレストへの旅
「日本人初、植村直己さんがエベレストに登頂する姿。エベレストの頂上を見るたび、そのことが真っ先に浮かぶ」
私がエベレストを見たのは、最近ではちょうど1年前である。ネパールの首都カトマンズから飛行機で飛んできたジャンボチェの部落から少し歩いて、イムジャ・コーラの谷の奥への展望がひらけた途端に、エベレストが見えた。
世界の最高峰というのは、やはり見るだけでも感動的なものである。その頂からは、東の方へちぎれ雲が伸びている。ジェット・ストリームが山塊にぶつかってできる大気の波動が作る雲である。
そんな雲を眺めながら、私は、エベレストの高さはなんで決まるかと考えたこと思い出した。
エベレストの高さ約9000メートル、圏界面の高さ約1万メートル、ざっと似た値である。だが、この2つを結びつけて考えた話は聞いたことがない。偶然の一致と片付けることもできるが、いったん2つを結びつけると、私には、それが因果関係を持つように思えてきた。
例えば、このような説明である。
先に書いたように、圏界面は地上からの空気が昇る一応の限界で、水蒸気が豊富なのもここまでである。だから、私が見たエベレストから、風下へ伸びる雲は、いわば、雲の上限に近いものである。圏界面の上では、水蒸気が少なくなり、雲もないと言ってよい。
そこでエベレストに限らず、ヒマラヤの高峰の頂上に降り注ぐのは、雲にさえぎられることのない裸の太陽光線である。岩肌はそれで温められる。だが夜になると岩の放射冷却をさえぎるる雲もなくなる。だから岩肌は急速に冷やされる。
このようにして、昼と夜とで、加熱と冷却が激しく繰り返されると、岩石の風化が進行する。岩肌についた雪は、昼に溶けて割れ目に染み込み、この水が夜になって凍って膨らみ、割れ目を拡大する。この作用は、低地でも働くが、エベレストのような圏界面の近くでは、特に激しい可能性がある。そこで造山運動によって、じわじわと盛り上がってきたヒマラヤの高嶺は、この圏界面付近で、激しい風化作用で、削られる。だからエベレストは、圏界面よりやや低く、8848メートルなのではないか、もし圏界面がもっと高かったら、それに応じて、エベレストも、今よりもずっと高いかもしれない。
そこでこのような推論を、アイデアとして友人に話すと、面白がられる。山の高さの上限について考えた人は、あまりないらしい。
この推論を支持する事実を集めるのは、容易ではない。エベレストの場合もそうだが、多くの頂上は雪で覆われていて、岩肌の様子についての記録は少ない。
その中で、日本人によるヒマラヤの登山のさきがけとなった、マナスル8125メートルの登頂記録が貴重である。1956年5月9日、登頂に成功した今西敏夫氏はこう書いている。
「石のクズをピッケルで掻き落とし、浮いた大きな石を落とさないように注意して徐々に登った。12時30分、私は頂上に立っていた。足元の岩場がグラグラ動いて、今にも崩れそうに思えて、私は岩の背に馬乗りにまたいでしまった」
このように露出した岩肌は浮いている。そこに多くの頂上のように、雪が降り積もり、その重みによって、ういた石は落とされる。
最近の調査研究によると、エベレストを中心とするヒマラヤが、造山運動によって、隆起したのは、1000数百万年前だという。その後、それだけの時間をかけて現在の高さに達したのか、今の段階ではわからないが、仮に一千万年かかって1万メートルの高さに達したとしたら、年に1ミリの上昇速度である。この値は、造山運動による上昇と、水や空気による浸食作用との差である。大気の低層における浸食作用に打ち勝って、年1ミリの割合で上昇してきたエベレストを中心にしたヒマラヤの頂は、圏界面近くで激しい風化に会い、仮に直径10センチの浮石が1回ガラガラと崩れ落ちれば、100年分の営々とした上昇量を失うことになる。エベレストの山上では、今も雪と水が、そんな日に向かって作業を繰り返している気がする。
宇治市で丁寧なく別指導を行うマンツーマン指導専門プライベート学習教室では、エベレストという神秘的な山への思いが、これまで数多く入試や英語長文に出題されているため、その背景的知識を詳しく勉強しています。
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エベレスト 世界の最高峰は、見るだけで感動的なものだ!
「日本人初、植村直己さんがエベレストに登頂する姿。エベレストの頂上を見るたび、そのことが真っ先に浮かぶ」
このような書き出しで始まる随筆を、かつて読んだことがある。今改めてそれに触れてみると、なんとも心の安らぎが得られるものだ。
その1部を紹介してみます
私がエベレストを見たのは、最近ではちょうど1年前である。ネパールの首都カトマンズから飛行機で飛んできたジャンボチェの部落から少し歩いて、イムジャ・コーラの谷の奥への展望がひらけた途端に、エベレストが見えた。
世界の最高峰というのは、やはり見るだけでも感動的なものである。その頂からは、東の方へちぎれ雲が伸びている。ジェット・ストリームが山塊にぶつかってできる大気の波動が作る雲である。
そんな雲を眺めながら、私は、エベレストの高さはなんで決まるかと考えたこと思い出した。
最近、中国の登山隊が、頂上に反射鏡を置いて、エベレストの高さを再測したと伝えられるので、あるいは少し変わるかもしれないが、エベレストの高さは、今のところ、標高8848メートルとされている。ある時、私はこの高さが、圏界面の高さに近いことに改めて気付いた。圏界面とは、地面近くにある対流圏とその上にある成層圏との境目で、地上から登った空気は、ここで一応止められる。いわば大気の天井である。その高さは、熱帯で高く.極で低く、季節によって変わる。エベレストの辺りでは、冬に約1万メートルの高さにある。最近のジャンボ・ジェットが飛ぶ高さである。
エベレストの高さ約9000メートル、圏界面の高さ約1万メートル、ざっと似た値である。だが、この2つを結びつけて考えた話は聞いたことがない。偶然の一致と片付けることもできるが、いったん2つを結びつけると、私には、それが因果関係を持つように思えてきた。
例えば、このような説明である。
先に書いたように、圏界面は地上からの空気が昇る一応の限界で、水蒸気が豊富なのもここまでである。だから、私が見たエベレストから、風下へ伸びる雲は、いわば、雲の上限に近いものである。圏界面の上では、水蒸気が少なくなり、雲もないと言ってよい。
そこでエベレストに限らず、ヒマラヤの高峰の頂上に降り注ぐのは、雲にさえぎられることのない裸の太陽光線である。岩肌はそれで温められる。だが夜になると岩の放射冷却をさえぎるる雲もなくなる。だから岩肌は急速に冷やされる。
このようにして、昼と夜とで、加熱と冷却が激しく繰り返されると、岩石の風化が進行する。岩肌についた雪は、昼に溶けて割れ目に染み込み、この水が夜になって凍って膨らみ、割れ目を拡大する。この作用は、低地でも働くが、エベレストのような圏界面の近くでは、特に激しい可能性がある。そこで造山運動によって、じわじわと盛り上がってきたヒマラヤの高嶺は、この圏界面付近で、激しい風化作用で、削られる。だからエベレストは、圏界面よりやや低く、8848メートルなのではないか、もし圏界面がもっと高かったら、それに応じて、エベレストも、今よりもずっと高いかもしれない。
そこでこのような推論を、アイデアとして友人に話すと、面白がられる。山の高さの上限について考えた人は、あまりないらしい。
この推論を支持する事実を集めるのは、容易ではない。エベレストの場合もそうだが、多くの頂上は雪で覆われていて、岩肌の様子についての記録は少ない。
その中で、日本人によるヒマラヤの登山のさきがけとなった、マナスル8125メートルの登頂記録が貴重である。1956年5月9日、登頂に成功した今西敏夫氏はこう書いている。
「石のクズをピッケルで掻き落とし、浮いた大きな石を落とさないように注意して徐々に登った。12時30分、私は頂上に立っていた。足元の岩場がグラグラ動いて、今にも崩れそうに思えて、私は岩の背に馬乗りにまたいでしまった」
このように露出した岩肌は浮いている。そこに多くの頂上のように、雪が降り積もり、その重みによって、ういた石は落とされる。
最近の調査研究によると、エベレストを中心とするヒマラヤが、造山運動によって、隆起したのは、1000数百万年前だという。その後、それだけの時間をかけて現在の高さに達したのか、今の段階ではわからないが、仮に一千万年かかって1万メートルの高さに達したとしたら、年に1ミリの上昇速度である。この値は、造山運動による上昇と、水や空気による浸食作用との差である。大気の低層における浸食作用に打ち勝って、年1ミリの割合で上昇してきたエベレストを中心にしたヒマラヤの頂は、圏界面近くで激しい風化に会い、仮に直径10センチの浮石が1回ガラガラと崩れ落ちれば、100年分の営々とした上昇量を失うことになる。エベレストの山上では、今も雪と水が、そんな日に向かって作業を繰り返している気がする。
宇治市で丁寧なく別指導を行うマンツーマン指導専門プライベート学習教室では、エベレストという神秘的な山への思いが、これまで数多く入試や英語長文に出題されているため、その背景的知識を詳しく勉強しています。
住所 〒611-0002 京都府宇治市木幡赤塚23-11
受付時間 10:00~22:00
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